マレーシアに移住しました

2023-07-22


まいど✋

こいけでございます

 

今更ではあるのですが、2022年の頭にマレーシアに移住しました🇲🇾🏝🤙

 

美容室経営とも、美容師の独立とも全く関係のない話ではあるのですが、今回は「移住」について書いて行きます

ちょっと長いので時間がある人だけ読んでみてくださいね

 

ではでは、

 

まいります

 

なぜ移住したのか?

親の教育方針で物心がつかない頃から小学4年生まで英語塾に行かされていたので、小さい頃から「海外に住んでみたい」って願望があったんですよね

なぜうちの親が熱心に英語教育をしていたのかと言いますと、アメリカで生まれ育った従兄弟たちが多かったので、その影響なんじゃないかと思います

「〇〇くん(いとこ)は、アメリカ国籍もあるから20歳になったら好きな方を選べるのよー。いいわねー」と母親に聞かされて育った僕は、海外に住める=すごいことという刷り込みが行われていったのではないかと思います

 

従兄弟たちは正月に帰省するたびに、自分のお父さんのことを「ダディ!」と呼んだりしてました

「何がダディだよ。。」

と、思って過ごした子供時代でしたが内心羨ましかったのでしょう

 

僕自身も、子供の頃の歌といえば英語の童謡?が浮かびます

おそらく、英語塾で習ったのでしょうね

でも今は全く英語を話せません

すっかり忘れてしまってるんですよね。。

 

親に申し訳ない。。

 

人生で最初に訪れた海外移住のチャンス

高校3年生の夏まで大学に行こうと思って夏期講習とか受けてたんですけど、自分の中でどうしても盛り上がらなかったんですよね。。

大学に行ってどこかに会社員として就職し、生涯年収が予想ついてしまうような生活を送ることにどうしても魅力を感じなかった。。

魅力を感じなかったというか、自分にそれが出来る気がしませんでした。。

モーニングが入っている店の噂を聞きつけると高校に遅刻してまで打ちにいってるようなヤツでしたからね(時給5000円)

 

僕が進路として惹かれていたのが「美容師」という職業だったのですが、実はもう一つ候補があったのです

それがアメリカの大学に進学するというものでした

「美容師になりたい」と父親に言ったところ「そんなつもりでお前を育てていない!!」と烈火の如く反対されましたが、「アメリカの大学に進学する」という理由なら希望が通りそうな気がしたんですよね

 

最終的には美容師という仕事を選ぶことになるのですが、「美容師なんて男がなるもんじゃない」という父親の頑なな反対(カリスマブーム以前だったので男の美容師に対しての理解が進んでいなかった)で、理容学校と美容学校のダブルスクールをする事でどうにか落ち着きました

 

結果としてアメリカに進学するという選択肢は蹴ってしまったのですが、いつもどこか心残りに思ってました

 

無意識の12年周期

完全に無意識だったのですが、僕は「12年を1つのサイクルとして行動に移すクセ」があるようなんですよね

19歳から美容師を12年やって独立

そして、独立から12年経った時点で「移住したい欲求」を我慢できなくなりました

 

2019年6月

マレーシア視察

実際に移住する事が可能かどうなのか(自分がそこに住めるもんなのか)を、リアルに体験するために2019年6月から2週間程度クアラルンプールに滞在し、現地の日系美容室や、ローカル美容室、住居用のコンドミニアムなどを見学しまくりました

KLCCと呼ばれる中心街に宿泊し、モントキアラという外国人街を中心に回ったのですが、予想以上に発展している様子に驚きました

2016年にNYに行った際にもUberでの移動が便利すぎて衝撃を受けたのですが、同じくマレーシアでもGrabというアプリでだいたいの事は完結します

移動に関しては明らかにUberよりもクオリティが高く、「昔の東南アジアのイメージじゃない」と衝撃を受けました

 

移住を決意した半年後に起こった想定外

視察の結果、年齢も40過ぎてるし海外移住するなら今しかない!と移住を即決

帰国し、急いで移住の準備を進めます

 

でも、いざ移住ってなるとやはり大変なんですよね

「ああ、これは独立した時に似てるな」と思いました

 

強い意志を持って進まないと、物事が進まないようになっているなと。

 

そして僕が悪戦苦闘している間に、「世界はコロナ禍」に突入していきます

 

2020年

世界中の国の国境が閉じてしまい、正直移住どころではなくなりましたよね

僕自身もハニカムの舵取りに集中するために移住は一旦保留という事にしました

 

欧米を中心に開国の兆しが見え始めた2021年

なんやかんや「美容室経営の方にも明るい兆し」が見えてきた2021年、時を同じくして「欧米を中心に国境正常化の兆し」が見えてきます

「これは行ける!」と感じた僕は、移住の準備を再開します

公証役場に行ったりなんだり、「苦手な事務手続き」を進め、ビザ申請の準備を進めますがなかなかスムーズには進みません

 

マレーシアは元々イギリスの植民地で、独立した今でもイギリス連邦に属してます

その為かどうかは知りませんが、公用語が英語なんですよね

当然、書類は全て英語にする必要があります

 

翻訳の専門家を入れればいいものの、「何故か自分で進める道」を選んでしまった為、全てにおいてつまづいてしまい、書類作成→英文翻訳→印刷→サイン→役所や大使館に予約→やり直し を永遠と繰り返してました。。。😿

 

駐在の方なんかだと、ビザ取得から物件探しまで会社が全部やってくれますよね

僕の場合、誰も助けてくれませんので全て自分で進めるしかありません

 

何だったら「いい経験だ」くらいに思っていたのが間違いでした。。

 

中でも厄介だったのが、コロナの関係で「在日マレーシア大使館が入場制限」を行っていた事です

何も知らず書類を揃えニコニコしながらマレーシア大使館のインターホンを押したところ、

 

係員「予約はされていますか?」

僕「!? 予約はしていなかったです。。。」「予約がないと難しいですか?」

係員「はい。。予約がないと難しいんですよ。すみません」

僕「今日は難しいって事ですよね。いつなら予約が取れますか?」

係員「少々混雑しておりまして、、、最短で4ヶ月後となっております。。」

 

僕「!?!?!?!???????????」

 

聞き間違いかと思ったわ。。

それ少々混雑じゃないだろ。。

 

この時が1番しんどかったですね。。😓

 

何故かというと、大使館に申請するための書類には、マレーシア政府から郵送してもらった重要書類や、公証役場や外務省で有料で認証してもらった書類があるのですが、それらには「有効期限」があったのです

4ヶ月後にはバッチリ期限が切れている。。

 

またやり直し、、、

あの作業と英語のやりとりを、、、、また一からやり直し。。。

 

かるく意識が旅立ちました。。

 

2022年ついに訪れると思われた移住日

2021年の後半は死んだ魚の目で全く面白くない書類準備に取り組み、ついにマレーシア大使館で一時入国許可を貰えました!

「長かった。。マジで長かった。。」

コロナ禍で入国許可に必要な書類が膨大に増えて、「コロナ以前のビザ申請の情報が役に立たなかった」というのも物事を複雑にしていた原因だったと後から気づきました

 

何はともあれ、いよいよ移住です

航空券を予約し、渡航72時間前のPCR検査の予約をし、準備万端

あとは実際に渡航し、「1週間のホテル隔離期間を乗り越えればOK」と、隔離期間用のホテルで食べるお菓子を選んだりして過ごしていたたころ、またしても予想外の出来事が起こります

 

「こいけコロナに感染する」

 

コロナに感染してしまうと、症状が落ち着いても体内にコロナウイルスの死骸?残骸?が、1ヶ月から半年程度残ってしてしまうらしく、「いつPCR検査が陰性になるかわからない」との事でした

 

「なんてこったい」

 

また移住はお預けか。。

 

2022年3月 ようやく訪れた移住日

どきどきしながら受けた出国72時間前のPCR検査も無事陰性だったので、いよいよ渡航準備が整いました

しかも、「60日以内にコロナに感染し、それが完治した証明書を持ってマレーシアに渡航すればホテル隔離は免除する」との発表がマレーシア政府から出され、入国さえできれば「当日に自由の身になれる事」が判明したのです

 

「ラッキーだ」「あの時コロナに感染したのはむしろラッキーだったんだ」と自分に言い聞かせます

 

「てか60日以内に感染し完治したら隔離免除ってどんな理屈だよ」という疑問は残りましたが、正解がわからないのがコロナ対応なので深く考えるのはやめて、素直に感謝する事とします

 

そして、移住当日

マレーシアの空港で「もう一悶着ある」とは知らずに飛び立つのでした

 

ちょっと思いが溢れてしまいブログが長くなり過ぎたので、「2022年マレーシアに移住しました後編」につづく事にします 笑

 

 

ではでは、

今日はこの辺で🤙

 

読んでくれてありがとうございます